[Android] 正しい次のステップはあるのだろうか?

ケータイ業界がそうしたものを出してきたところに(ACCESSの「ALP」もそうしたものの1つだ)、グーグルの「アンドロイド」やアップルの「iPhone」が登場した。彼らはこうした動きを見て、ケータイの意味を本質的に変えるべく、自分たちのフィールドに引きずり込もうとしているのだ。デジタル機器には、高度化するにつれて、どこかで組み込み系からコンピュータに近いOSの選択を迫られるタイミングがある。ケータイ業界は、いまその期が熟しきっている。そこで日本なりの動きができるかどうかが、非常に重要ではないかと思う。

 ガラパゴスの外側では、さまざまなことが起きていて、HTCやBlackberryiPhoneやアンドロイドで驚いている場合ではない。ケータイを世界の誰よりも知っている「進化しすぎたガラパゴス」ならではの、正しい次のステップがあるはずなのだ。

最近思うのは、この流れが、初期のPC98などの日本独自企画のパソコンと、PC-AT互換機の歴史と重なっているような気がしてならない。PCがPC-AT互換機とMacしか生き残らなかったように、ケータイもiPhoneともう一つのOSしか残らない可能性もある。MacのインタフェースをWindowsがマネをして成長していったように、iPhoneのマネをした、だれかが生き残るのだと思う。そんな状況でも、iPhoneだけは生き延びるような気がするのは、ジョブスがまだ顕在だからだろうか?