[Android] 僕たちは、「write once, run everywhere」を手にいれたのか?

人々が「write once, run everywhere(一度プログラムを書けば、どこでも動作する)」と声高に宣伝していたことを覚えていますか。われわれは実際そこに到達したと考えています。ネットブックカーナビゲーションシステムのようなものを探究する可能性について話し始めた場合、おそらく異なるタイプのプロセッサアーキテクチャを扱う必要があるでしょう。Intelもあれば、ARMもあり、セットトップボックスにはMIPSもあります。
 あらゆる種類のさまざまなプロセッサアーキテクチャがあり、過去の遺物にとらわれている人たちはたった1つのソリューションでこれらの市場に対処しようとして苦労しています。実際のところ、Androidはこれらすべての市場に対処できる可能性を持つ、たった1つのソリューションであると考えています。新しく、革命的なものです。Androidが競争を変えることでしょう。
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...オープンを最も多く持っている人の勝ちです。

われわれはこの状態にいると考えています。われわれにはオープンエコシステムがありますし、オープンソースプラットフォームもあります。正しいライセンスを選んでおり、バイラルマーケティングの側面もなく、無条件で100%無料です。Androidは完全なもので、電話を開発するのに必要なあらゆるものがそろっています。まだ結論は出ていませんが、そういったすべてのものを加えたとき、このすべての構成要素によって、本当に成功する製品をつくることができる可能性があります。

 Androidの開発に入れ込んでいる人ならば、とりあえず、この記事を読んでみるべきだと思います。少し、フィルターがかかっているかもしれませんが、Andyが何を考えているかを伺いしることができると思います。
 僕自身は、この記事を読んで、たくさん共感できるところを見つけました。それは、Androidが、「人々が期待するやり方でインターネットにアクセスできるようにする」デバイスのためのプラットフォームだというあたりです。やはり、Androidのポイントは、オープン性という側面にあるということを再認識できました。
 ただ、ちょっと引っかかったのは、僕たちは、「write once, run everywhere」に到達したのかという点です。僕自身は、まだ、この言葉が意味しているところに到達していないと思っています。また、実は、「write once, run everywhere」は、目指すべき方向ではないと考えています。それは、この言葉自身が意味するところが、あまりにあいまいで、話す人や聞くひとによってとらえ方の幅が大きいからでもあります。
 とりあえず、こういったAndroidの方向性を決めている人の意見を理解するというのは、とても大切だと感じました。